みんな働きすぎ。社畜ならぬ、学畜とは?

健やかな日々のために

会社や仕事のために、身を粉にして時間も捧げて働く、そんな人々は社畜と呼ばれています。同じように、勉強に部活に、朝から晩まで励んで休日さえも捧げる学生を、学畜と呼んでいるようです。
彼らは一体どんな存在なのでしょうか。社畜という言葉の先輩との共通点を探ることで明らかにしていきたいと思います。

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新人のスタンバイ勢が熱い

会社では新入社員のために研修や上司の手厚い叱咤激励は当然のこととして行われていくと思いますが、
その状況に身を置く新人たちにもその熱意に答えるべく、奮闘します。

人によっては、入社前から勤め先に顔を出して場合によっては一緒に働いて、人りよりも早く仕事を覚えていこうと意気込んでいる人も多くいるでしょう。

彼らはボランティア精神で従事させてもらっているので、基本的には無給です。
インターンシップに近い意味ですが、彼らにはその先に入社が待っています。それは地獄の日々の前兆かもしれません。

同様にこれは学生、特に高校生に言えることです。
入学が決まった新入生は、入学すればほぼ自動的に部活に入部することになるでしょう。

中学生の頃とはまた違う新しい部活を選ぶことも可能ですが、勤しんでいたスポーツがあれば、その部に入部する流れが多いでしょう。

有望な選手であればあるほど、実は入学前の春休みから部活に参加し始めているのです。体験入部や仮入部という期間を経て、正式に入部することがほとんどですが、これ体験前仮入部のようなものです。
そして、ほぼこの部に入部することは決定しています。

体験前仮入部だけでなく、もちろん、高校によっては、入学前課題が出されます。そして、もれなく、入学後には、その課題考査が行われるのです。

学生は会社員と違って無給です。無給のみならず、はっきりいうと出費しかないです。お金を得るには、バイトが許されればバイトでお金を稼ぐか、懸賞に応募したり大会に出場して勝ち進んで賞金をもらうとかでしょう。

彼らはお金も時間も多くの対価を払って、何を得ているのでしょうか。他の人よりも早くスタートできる安心感でしょうか。他の人よりも先へ抜きん出る優越感でしょうか。

最初から飛ばすと後で息切れしそうです。

 

 

居残り上等

仕事も慣れてくると、どんどん仕事を任せられるようになってくるでしょう。そして、納期爆弾を抱えた仕事が許容量を越えると、残業せざるを得なくなるのです。

仕事がないなら、さっさと帰ることを、会社の利潤のためにも推奨すべきです。間違っても、早く帰るなという暗黙の圧力をかけてはいけません。

これは学生にも言えることです。学校の授業が終わると、部活動の時間が始まります。
ですが、よく考えてみてください。これは、学生の本文である学業の時間外活動なのです。

しかもそれは自動的に始まるのです。
途中で帰ることはほぼ不可能です。

翌日、何を言われるか、休み続ければ体たらくか辞めろと宣告されるでしょう。休日の部活動も、多くの企業でいえば時間外労働にあたります。

さらに部活動が終わった後に、勉学が待っています。多くの学生は深夜という時間外に宿題や予習復習を行っています。そらはまさに深時間外活動です。

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ハラスメントがある。

みんな疲れきっておかしくなっています。しかし、もっとおかしいヤツが世の中にはうんと存在します。

セクハラ・パワハラ・マタハラ

という、三大ハラスメントと言っても過言ではない嫌がらせが存在します。

覚えておいていただきたいのが、「うっかり言ってしまった」もダメなのです。

なぜなら、ハラスメントの定義が、

「意図せず相手を不快にしたり、傷つけたりすること」

だからです。

これは学校でも横行しています。
暴力問題はそのよい例です。会社でいうとパワハラにあたります。
最近ではアカハラも話題になりました。これが学畜と関係するのです。

アカハラとは学業の強要です。

これは特に大学で見られる傾向です。ゼミにおいては、そのゼミを取りまとめる教授などの先生が優位にあります。

研究に師事したり、良い評価をもらうためには、その人に嫌でも言うことを聞いたり良い顔をしたり、付き合いに参加したりしなければならない場合があります。

 

どうでしょう。学生も会社員と遜色ないと思いませんか。

たしかに義務教育の学生には労働の義務はありません。大学生も免除の対象でしょうが、彼らは学生の顔を持ちつつ、勤労者の顔を持っています。

 

場所の中に存在する

組織や会社という建物の中で働いています。
学生も、学校や大学などの施設で学んでいます。

そこには少なからず、人がいます。
その人、人は、一人一人違う価値観や理念を持っています。

しかし、彼らは会社や学校という一つの場所の中に収められています。

このような閉鎖的な空間に窮屈を覚える人も中にはいます。

人は安定的な場所に存在する限り、生きとし生ける他人と関わらなければなりません。

仕事だけでなく、人間関係や人の好奇の視線にも悩まなければならないことも多いのです。

それは学校という学びの場所であっても生じうる問題です。残念ながらどんなに煩わしくても、人が動かしている世界なので、人という存在とは切っても切り離せないのです。

 

 

壊れる

まるで機械のようですが、人間も壊れます。正確には体を壊し、病気になるということです。

誰でも一度は、過労や労災という言葉を耳にしたことがあるでしょう。

働きすぎて動けなくなるのです。
多くは心身に異常をきたして、会社を長期的に休職したり、辞めざるを得なくなります。
そして、それを労災という形で、会社の責任を問うことが難しいのも現実です。

学畜という言葉はなぜ生まれたのでしょう。

自虐的な意味でそう言っている人もいるでしょうが、勉強や部活動のやり過ぎて、体を壊す生徒や学生が多く見受けられるようになってきたからではないでしょうか。

若いからといって、壊した体が元に戻るとは限りません。

 

かくいう自分も学畜なんてささやかれていない学生時代に、体を壊し、今も半壊状態を引きずっています。自分が学畜だったのか聞かれると、そうだったのかはっきりとは答えにくいです。

しかし、限界は自分にしか分かりません。自分は心身ともに働きすぎなのではないか。身を置く場所は適切か。考え直す必要があるかもしれません。

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